表題のとおり私は娘を帝王切開で出産しました。
ただ、私の帝王切開は計画してたものではなく、緊急手術。
陣痛中に非常事態が起こりました。はい。
そして、退院後に出血騒動が、、、。
今回はこれらをまるっと含めて、NZで娘を出産した体験談を前編・後編にわたってお話します。
夜中に破水
出産予定日を3日過ぎた夜中の3時。
パチン!
という大きな音で目が覚めました。
そして、股のあたりに何か違和感が、、、、。
トイレに行って確認すると少し破水してる。
お腹にも何か違和感が、、、、陣痛が始まった!
バディ!!陣痛が始まった!しかも破水しちゃってる!
とバディをたたき起こして、ミドワイフ(助産師)に連絡してもらいました。
自宅待機
海外の出産は「陣痛の間隔が短くなると入院→出産→数時間後に退院」という国が多いですが、NZもその一つ。
陣痛が始まっても、5分間隔になるまで自宅待機です。
私は破水してしまったので、即病院行きかと思いましたが、バディが連絡したミドワイフによると
破水した水の色が正常な色(緑とか赤っぽくなく、透明に近い色)だったら従来どおり自宅待機でOKよ!
とのことだったので、そのまま陣痛が5分間隔になるまで待ちました。
渋滞に遭遇
そうこうするうちに、陣痛が5分間隔になり、自宅を出発する時が来ました!
この日はたしか月曜日の朝の5時半を過ぎたころ。
さぁ、行くぞ!、とモーターウェイに車を走らせると、、、、
車の大渋滞
私の住んでいるオークランドは朝夕の車の通勤帰宅ラッシュが酷いんです。
特に、北や南のシティから離れた郊外から続くモーターウェイが混む、混む!、混む!!
電車やバスを利用する人もそこそこいますが、ほとんどの人は駅やバス停の近くに住むシティ近辺の人。
郊外となるとバス停や駅もそこまでなく、車が圧倒的に便利なのでみんな車通勤。
朝早い5時ぐらいから徐々に始まります。
一応、渋滞が酷くなる前に出たつもりでしたが、敢え無く遭遇。
渋滞でノロノロ動く車の中でさらに陣痛が強くなっていきます。
Hurry Up バディ!!車の中で生まれちゃうよ!!
痛みと焦りで、鬼の形相の私笑。
最強の陣痛
やっとこさ病院に着いたときには、結構陣痛がすすみ、歩くのも精一杯。
分娩室についたころには結構ヘロヘロでした。
しばらくすると、私のミドワイフも病院から連絡をもらい駆けつけてくれました。
これでいつ生まれても大丈夫!と安心したのもつかの間、最強の陣痛が押し寄せてきました。
これが、ただならぬ陣痛で、火の玉のをお腹に抱えてるような感じ。
しかも、それが私のお腹の中でうごめいて今にも爆発しそうな勢い。
大量出血と心音低下、そして緊急帝王切開へ
定期的にミドワイフが子宮口をチェックしてくれました。
病院に着いた時は5センチくらい。
それから、3・4時間踏ん張って8センチぐらいまでに広がりました。
いきむまでには10センチ(あともう2センチ)開かないといけません。
ただ、もうこの頃には今まで味わったことのないものすごい痛みが15分間隔で押し寄せてきていました。
お腹も石のようにカチンカチンに硬い。
お腹につけている、陣痛を監視するモニターもかなりの強さの陣痛を記録。
すごい陣痛ね。
これ以上強くなるとあなたの体も赤ちゃんの身体も危険な状態になるかもしれないから、痛み止めを打ったほうがいいわ!
と痛み止めを打つことを打診。
私もこれ以上この痛みに耐えれそうになかったので、打ってもらうことにしました。
ミドワイフが痛み止め用の点滴針を挿入した直後、、、。
突然、お腹に着けている陣痛を監視するモニターのアラームが突然鳴り始めました。
ピー!ピー!ピー!
すると、赤ちゃんの心音が徐々に低下。
ドクター!赤ちゃんの心音が低下してきてるわ!早く来て!
とミドワイフがドクターに緊急要請。
2,3人のドクターが分娩室に来て、何やらミドワイフと話している様子。
部屋が一気に緊迫した空気に。
その間、あまりの痛みに意識がもうろうとして記憶が残ってないのですが、私もこの時大量出血してしまったようです。
これを見たドクターはすぐに危険な状態と判断し、緊急帝王切開をすることに決定。
手術室へ運ばれました。
手術後のスパルタ育児
手術は1時間ほど済み、母子ともに一命を取りとめ、お昼の12時ごろ無事出産。
手術から1時間後、麻酔から目が覚めた私はICUみたいなところに居て、ナースが血圧等の最終チェックをしてくれていました。
手術室に運ばれるあたりから記憶がほとんどない私はまさに浦島太郎状態。
あれ??
私出産したんだっけ?(お腹を見る→若干へこんでいる)
でも、周りを見渡しても赤ちゃんがいない???
どこ???
生まれたはずのわが娘がどこにもいないので、焦った私はナースに赤ちゃんが無事うまれたかを確認。
大丈夫、無事生まれたわ。あなたのことを部屋でまってるわよ。
それからすぐに部屋に移動し、我が子と初対面。
娘は私の母(日本から手伝いに来てくれてました)に抱っこされていました。
めちゃくちゃ指を吸いながら、泣いています。
そこに居たナースが一言。
きっとお腹がすいているのね!さっそく母乳をあげましょう!
するとナースが私の胸元へ娘を置き、授乳開始。
えっ!? 今!? わたし手術室から帰ってきたばっかなんですけど。。。
そう。
あの凄まじい出産→手術からまったく休むことなく、今度は育児のはじまりです。
日本だったら、普通分娩でも帝王切開でも、生まれたての赤ちゃんは最初の日は母親と別室で過ごすものですが、NZはいきなり同室で育児開始。
帝王切開で出産した人にとったらそれはもう大変です。
切ったばかりのお腹はジクジク痛み、後陣痛がジンジン押し寄せてきて、身体を起こすのもままならない。
ましてや、立ち上がるなんで不可能。
しかも、導尿カテーテルがまだお尻に付いてる状態。
この状態で、「泣く→授乳→寝る→泣く→抱っこ→寝る」を繰り返す赤ちゃんの世話をするなんて、、、一人じゃ到底無理。
私は、日本から母が助けに来てくれてたので、初日と次の日は母が赤ちゃんのお世話をほとんどしてくれました。
母よ、、、、ありがとう(泣)
結局この日の夜は、1時間おきに泣く娘の泣き声と授乳で殆ど寝れずでした。
ちなみに、私が入院した病院の産科は、女性の付き添い者なら母子と一緒に同室で泊まることができます。
ただし、男性はダメ。
夫でも、ボーイフレンドでも。
なので、バディの代わりに私の母が泊まって私を助けてくれました。
それと、帝王切開だったためか、入院した部屋は個室。
シャワーもお部屋についています。
周りの人に気を使ったり、逆に悩まされたりすることが無かったので、この点については快適に過ごせました。
胎盤剥離が原因
出産から2・3時間ほど経ったころ、ミドワイフが病室に来て、私の出産中に一体何が起こったのかを説明しにきてくれました。
出産前に何かしらが原因で、胎盤剥離が起きてしてしまったことが原因とのこと。
胎盤が剥離すると、赤ちゃんへの酸素供給がストップし、母親も大量出血が伴うので、母子ともに危険な状態になります。
なるほど、、、だからあんなに痛かったのか。娘も私も一命を取り留めてラッキーだったのね(泣)。
と神様に感謝しました。
翌日に退院(させられそうになる)
翌日も痛みで立ち上がることさえできない私。
しかも産後の疲れも全然取れないどころか、増して行く一方。
そんな中、ナースが朝の検診に来てくれたときに一言。
今日先生の許可が下りたら退院ですよ♪
えっ!!まだ立ち上がることもできないこの状態で、まさかの退院!?
と私はビックリ。
前から海外の入院期間は短いと噂で知っていたものの、まさかお腹を切った翌日とは!
でも、結局この日は先生が忙しいため時間が取れないとのことで、退院は延期。
私は内心ホッとしました。
だって、まだお腹が痛すぎて立つことさえできないんですから!!
退院、バースケアに移動
出産後2日目。
この日は早朝からナースが来て、「今日退院ですよー、準備を始めましょう!」と退院の準備を始めました。
まずは、導尿カテーテルを取り、手術の傷口のケアをしてくれました。
あとは、入院着を自分で着替えてね。良かったらシャワーも入っていいわよー。サッパリしてお勧めよ♪
いやいや、立ち上がることもままならないのにシャワーなんて無理っす。
と、なんとか身支度をし、最後に大量の痛み止め薬をもらいました。
まだ、この時も傷口と後陣痛の痛みで歩くことができず、車椅子で病院内を移動。
迎えに来てくれたバディの車でこの後滞在するバースケアに移動しました。
バースケアとは日本で言う産院。
なので、病院ではなくバースケアで出産することもできます。
病院で出産した人は、普通分娩で当日、帝王切開でも私のように2日で追い出されるので(笑)、たいていバースケアに移動して、そこで1~2日滞在してから家に帰ります。
ここでもラッキーなことに個室がこの時たまたま1部屋空いていて、私はそこに入ることができました。
バースケアは病院に比べてすごく穏やか。
母親がゆっくり寝たいときは、ナースが赤ちゃんの面倒を見てくれますし、いろいろ育児についてアドバイスしてくれます。
病院のナースはお仕事が忙しいこともあって、そこまで親切ではないです。
ここで3日間過ごしたのち、ようやく自宅に帰ることに。
しかーし、、、、
このあと更なる悲劇がまっていたんです。。
つづき↓
コメント